副業アフィリのエイタロウです。
今回は第1話、ブラック部署編となります。
それではスタートです。
ブラック部署にいた頃の僕
ある日、社内で僕は叫んだ。
「こんな仕事、僕もう嫌だ !!(心の中で)」
それは僕が24歳の頃です。
保険関連の仕事をする僕でしたが、来る日も来る日も、上司や先輩にいじめられてばかりでした。
0時以降まで奴隷のように働き、ニヤニヤ愛想笑いして生きる毎日です。
(疲れた顔を見せると、滅茶苦茶怒られるからです。)
その見返りとしてもらえるのはなんと…
手取りで12万!!!!!?????
こんなに貰えるの!!!??
僕ごときにお賃金を払っていただき、ありがとうございます!!
ブラック企業1年生
社会人1年目のときは、そう思った事もありました。
しかし、いくら働いても残業代はゼロ。
土日祝日に出勤しても一切の手当もなく、タダ働き同然!
「大変なのは君だけじゃないんだから!」
という魔法の言葉でポポポポーン(洗脳完了)!!
この状況がやばいことに気づいたのは、1年も終わろうとしてた頃でした。
頭の良い方なら「すぐやめればいいじゃん」って、思われますよね。
しかし、僕は高卒レベルの就職難民だったので、この仕事にしがみ付くしかなかったのです。
一応、専門卒ではあるものの、実際の学力的には公立の中学生レベル。
卒業後は2年もの間アルバイトをしながら、就職活動に明け暮れていました。
そしてようやく掴んだ正社員という切符は、人間牧場への招待状でした。

従順で大人しい性格の僕は、すぐに社畜人ヤプーへと変貌していきます。
「こうなったのは全部自分が悪いせいなんだ」と、自己責任論で自分を責めながら生活していました。
これが勉強を蔑ろにしていた弱者の末路だよ。
ブラック企業というマウント
しかも、当時は下手に「ブラック企業」と言う事も許されませんでした。
ネットに書き込もうものなら「その程度でブラック企業だと!?なめんな!」といってまたもや怒られてしまうのです。
そんな底辺同士のマウント合戦をネットで見るのも日常でした。
僕はそれを見ながら思います。
「よそに比べると、うちってまだブラックじゃないんだなー」(末期)
社内ベンチャーに潜むブラック
では、僕の仕事内容についても触れておきます。
僕が配属先はいわゆる「社内ベンチャー」というやつでした。
会社で新規事業を興すために作られた「独立した部署」という位置づけです。
あんまり詳しい事を公にすると身バレするので、「保険関係の部署」としか言うしかありませんけどね。
当時は、新部署が立ち上がってから2年程度が経っていました。
本社ではなく県外にオフィスを借り、隔離された狭い環境で僕は働いていたのです。
部署の人数は6名。
部長をトップに据え、係長1人、事務1人、残りは平社員(先輩)という感じ。
僕以外は全員県外からやってきた人ばかりで、土地勘もあまりなかったようです。
そこで現地民かつ、若いだけが取り柄の僕が採用され、ゆくゆくはこのオフィス長になるという触れ込みでした。
ビジネスモデルとして成功すれば、部長たちは別の支店を全国的に展開していくという計画だったそうです。
とにかく僕は怒られた!
とはいえ、僕は仕事への情熱もなければ、オフィス長なんて興味もありませんでした。
最初こそ「頑張るぞ!」と意気込んでいましたが、徐々に勢いをなくしていったのです。
なぜなら、部長による洗脳じみたお説教がキツすぎたからです。
とにかく僕は、怒られ続けました。
というのも、社内ベンチャーとは3年~5年ほどで黒字化出来なければ撤退と言われています。
僕が入社した時点で2年経っても赤字の連続。
そのため、一刻も早く「結果」を出さなければいけなかったのでしょう。
社内ベンチャーの発起人
加えて、社内ベンチャーの発起人こそが、部長だったそうです。
しかも、上層部の反対を押し切って始めたらしく、その責任があったとの事。
唯一、社長とは仲が良かったようで、そのおかげで設立できたそうです。
つまり、設立時当初から、かなりきな臭い職場だったと言えますね。
また、後に部長から「本来は新人教育してる暇なんて無いから、即戦力を雇うつもりだった」と言われたのを覚えています。
「だったら何で採用したんだよ!!」って話ですよね。
どうやら僕の成長性に賭けたらしく、不相応すぎる期待を背負わされてしまったわけです。
低賃金でも頑張った理由
あと、やたら低賃金だったのも、本来なら雇う余裕もあまりなかったからだそうな。
(僕以外の社員は手当も込みで20万以上貰っていたみたいですけど)
それでも「事業が軌道に乗れば挽回できるし、もっと給料も出せる!」と言われたので、僕はその言葉を鵜吞みにしていました。
そのため、社会人1年目の僕は徹底的にしごかれ、もはや説教されることが仕事みたいな日々でした。
しかし、1年経っても状況は改善されるばかりか、仕事も減りつつあり、悪化していきました。
それなのに、お説教は激しくなるばかりで、やる気はどんどん下がってしまったというわけです。
指導という名の人格否定
ちなみに部長のお説教では「君は○○だから出来ないんだ!」とか「今から変わろうとしなければ、一生仕事が出来ない人間のままだ!」という人格否定をよくされました。
大したミスでもないのに、「ほら見た事か!」などと鬼の首を取ったように、みんなの前で見せしめにもされるのも当たり前です。
部長の腰ぎんちゃくの先輩も、時にはフォローはするくせに、僕のミスはどんなことでも大げさに報告するような人でした。
そうした執拗な攻撃の理由は、僕を精神的に追い詰め、這い上がらせることで強くするという事が狙いだったらしいです。
スポ根というか、サイヤ人の修行というか、時代遅れ感が半端ないと言えるでしょう。
これがブラック部署の恐ろしい所なんですよ。
ちなみに僕は平成初期生まれのゆとりです。

ブラック部署をやめるきっかけ
毎日家に帰れるだけマシと思っていましたが、深夜までのサビ残は精神的にも追い詰められます。(ちなみに、家から会社まで徒歩15分です。そのせいもあって、コキ使われたかもしれません。)
さすがに心配した両親から「もう仕事辞めたら…?」と言われるように。
僕はそこで「え?この仕事やめていいんだっけ…?」という疑問を初めて持ちました。
僕は今まで「やめる」という選択肢がなかったのですが、両親に言われてようやく気付きました。
思えば、就活に明け暮れ、何回も面接で落とされ、ようやくこぎつけた先はとんでもないブラック部署。
それでも、僕はもう就活がしたくなかったため、「この仕事しかない」と思っていました。
また、部長は「逃げるな!」という言葉をよく言っていたので、僕は出口をふさがれていたのです。
それよりも、僕の事を本当に心配してくれる両親の言葉が、僕の中には刺さりました。
もちろん、今の会社をやめたところで、待っているのは「再就職」という茨の道です。
しかし、これまでの過酷な環境のおかげでメンタルも強くなった気がしたので「また再就職も頑張れるかも…」という希望も持つようになったのです。
(そういう意味では、お説教にも意味があったのかもしれませんね。)
色々考えた結果、僕は「やれるところまでやってから辞めよう」と思ったのです。
会社をやめるタイミング
会社を辞めるきっかけは、入社2年目に訪れました。
実は、設立当初からずっと赤字を出し続けたせいで、部署が存続の危機になっていたようです。
つまり、部長のビジネスは失敗したのです。
深夜まで働かせたくせに黒字化できないとか、もう終わってますよね。
これまでの投資額を回収できる見込みもなければ、本社から見限られて当然です。
しかも当然のように、僕以外はみんな前々から知っていたようですが、ギリギリになって僕は初めて事情を聞かされました。
(やっぱりイジメられてたんですかね?)
いつの間にか係長だけは、1人で逃げるように本社へととんぼ返りしてました。
棚ぼた退職なるか…?
そんなヤバイ状況を知った僕は、内心「ラッキー」とほくそ笑みます。
わざわざ僕が「やめます!」と言わなくてもよくなったからです。
「あちゃー!!この状況ではやめても仕方がないですよねー!!」
という空気が出せるので、まさに棚からぼた餅!!
もちろん本音がバレたら殺されるので、「本当に残念です!」と真剣な顔をしながら頑張ってるフリだけは続けました。
当然家に帰ってからは、
「これで辞められるぜ!!!やったあああああああああああ!!!!!」
と狂喜乱舞していました。
流石に会社都合での退職とはなりませんが「辞めるに値する理由」があるだけで十分でした。
自分の手を汚さないですむって、こんなに気持ちいいんですねえ!!(ゲス顔)
それでもなぜか諦めない部長
ところが!!
なぜか部長だけは未だに熱意を保っていたのです。
「逃げない事がモットー」な部長は「続ければ道は開ける!」みたいな事をずっと言っていました。
僕は「泥船の上で何言ってるんだこの人は」と思い、部長の正気を疑わざるを得ませんでした。
それはもはや意味不明な精神論でしかなく、僕は恐怖を覚えるようになっていきます。
しかし、そんな僕の不安をよそに、部長は驚くべき行動に出ようとするのです。
「本社へ戻るか、俺についてくるか選べ!!!」
いよいよ事業撤退までの期限が迫り、崩壊へのカウントダウンが始まった頃。
部長は言いました。
「俺たちは本社から独立する!」と。
つまり、全員で会社を辞めて、部長主導で新しい会社を興そうという方法です。
とんでもない暴挙に出るとは、まったくの予想外でした。
しかも、俺”たち”って、まさか僕も入ってるんですかね??
いやいや、それを決めるのはあなたじゃないでしょ…
しかし部長は本気であり、「秘策」をすでに用意していたというのです。
会社から独立する方法
実は部長は、以前から提携できそうな同業者に目星をつけていたそうです。
そして部長はその事業主と交渉し、その会社を乗っ取る準備をしていたのです。
(とはいっても、社長1人、従業員1人という超小規模の会社なのですが。)
ただし、その条件として、事業主の負債を全部肩代わりする事も呑んだそうです。
こうして、部長はなんだかんだの手続きを知らぬ間に進めていたとの事。
つまり、部長はすでに新しい会社に移行する気満々だったのです!!
その点に関しては、すごい行動力だとは思います。
しかし、どうせ赤字になる未来しか見えないのに、なぜそこまでの行動力があるのか、僕は不思議でたまりませんでした。
もうビジネスモデルが破綻しているんだから、早くやめたほうが良いとしか考えられません。
そんな不安を持ちながら僕は、部長に迫られました。
「本社へ戻るか、俺についてくるか選べ!!」と。
やめるなら自分で「やめる」と言うしかない
僕は、本社に一度も行ったことがないので「本社に戻る」という選択はありませんでした。
また、部長について行ったら僕の人生は多分終わると思いました。
売上がこれから上がる見込みもないし、安月給でこき使われるのがオチです。
とはいえすぐに「辞めます!」とも言いづらかったので、答えを保留してもらう事に。
すんなり辞められるかと思ったのに、こんな面倒な事になるとは思わなかったです。
家に帰ってからは、「どうやってやめる事を伝えようか」と、余計な悩み事を考えさせられました。
そして、数日かけて考え、ちゃんとした答えを伝えることにしたのです。
NOという勇気
その間、僕はこれまでの事を思い出していました。
はっきり言って、部長のやり方はワンマン過ぎると思いました。
ちゃんとした結果を出せる人なら、ついて行っても良かったかもしれません。
しかし、事業は失敗に終わったし、成長を促すためと言え、あれだけ僕の人格を否定してきた人です。
そんな部長に恩や義理を感じることは全くありませんでした。
しかも、ビジネスを精神論で乗り切ろうとしていた節もあり、もはや不信感しかありませんでした。
僕はこの時、怒っていたのです。
こんな人にビクビクする必要はないし、はっきり言えば良いのだと覚悟を決めました。
その怒りをバネに僕はようやく「やめます」と伝えることが出来たのです。
その後の部長はどうなった?
というわけで以上が、僕がブラック部署を辞めるまでの体験談でございました。
決して円満なお別れではなかったものの、ささやかな送別会はしてもらいました。
ちなみに部長について行ったのは、5人中3人。
なんと、先に逃げた係長と僕以外、全員残ってしまったのです。
彼らに見送られながら、僕はその場を去ったのでした。
部長からは、特に挨拶やお別れの言葉もなく、それっきりの関係となりました。
その後、唯一仲の良かった先輩から聞いた話では、数年後は全員解散したそうです。
しかし、それでも部長は1人で事業をしているという話を聞きましたが、果たして成功できたのでしょうか…。
まぁ、今となっては関係のない話なのですけれど。
嫌な事ばかりではありませんでしたが、もう2度と会いたくない人です。
ブラック部署をやめた後に考えた事
さて、仕事をようやく辞められた僕に待っていたのは自由という名の無職生活!!
とりあえず、何もしたくなかったので、自室に2ヶ月くらい引きこもってました。
その間、これまで負ってきた傷を癒し、部署への恨み辛みを日記に書いたりもしてましたね。
(この文章は、その当時の日記を読み返して、思い出しながら書いてます。)
その一方で、僕はあることを考えていました。
「もうあんな会社で働きたくない!!」と。
またあんな風に奴隷として働かされるのは、もう二度とごめんでした。
結局、自分の努力次第ではどうこうできず、会社の方針によって僕の人生は決まってしまう事を理解したのです。
僕のような低学歴ならなおさらであり、会社を選ぶ権利などはないのです。
となれば、再就職先もまたブラック企業になる事は明白であり、絶望していました。
かといって、今後就職しなければお金もなくなるため、僕はどうしようか苦悩の日々を送っていたのです。
無職がお金を稼ぐ方法はあるのか?
ある時、僕は思い付きます。
そもそも「お金」があれば、会社に行く必要はないわけです。
会社に頼らずとも、副業的にお金を稼ぐ方法があれば、最悪アルバイトでもいいのでは?という発想に至ったのです。
そこで僕は興味本位で「お金を稼ぐ方法」を調べてみました。
「まぁそんなものあるわけないか…」と思いきや、そこには刺激的な情報がたくさんありました。
中でも興味を持ったのは「株式投資」と「せどり」と「アフィリエイト」した。
そこには「元底辺アルバイターが月収○○万円達成!!」などと夢のような話が蔓延していました。
普通なら怪しいと思うでしょうし、信るわけがありません。
しかし、当時の僕はかなり病んでいました。
弱者の心を突かれて「僕もこんな風になりたい!!」と幻想を抱くようになったのです。
※こういう心理状態の人は、詐欺に遭いやすいので注意しましょう!
失敗してもいいからチャレンジしようと思った
「会社員が嫌ならば、自分で何かを興すしかない!」
僕はそう考えました。
さもなければ、ブラック企業に後戻りするだけなのです。
仮に失敗して、自分の実力が分かれば、諦めがつくのだと考えました。
それに「何かにチャレンジした」という経験があれば、次の就職でも有利になるのではないかと考えたのです。
そのためにまず、僕はせどりやらアフィリエイトについて勉強から始めました。
しかし、当時はまだ情報も少なく、どちらも難しそうだったので、その時は断念しました。
そこで、僕は株式投資をメインに勉強する事にしたのです。
投資ならば、いくらでも書籍があるので、情報を得るのは容易だと考えたからです。
そして、僕は無職のくせに投資で稼ごうと躍起になるのですが…。
またそのお話は次回にさせていただきたいと思います。
プロローグはこちらから読めます。